絵本作家のせなけいこさんが2024年に92歳で永眠されました。
『ねないこだれだ』『いやだいやだ』などの不朽の名作を残し、何世代にもわたって子どもたちとその家族に愛され続けてきた作家でした。本記事では、せなけいこさんの人生において重要な存在であった夫との関係性に焦点を当てて紹介していきます。
絵本作家のせなけいこさんがお亡くなりになりました。92歳でした。『ねないこだれだ』や『いやだいやだ』『あーんあん』など、独自の世界観とストーリーの作品で子どもたちを惹きつけ、多くの読者に愛されてきました。謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/Q7Zcn7zGY1
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せなけいこの旦那は落語家の6代目柳亭燕路(りゅうてい えんじ)
せなけいこさんの旦那さんは実は落語家の柳亭燕路(りゅうてい えんじ)さん。
共に芸術の道を歩む者同士として深い理解と尊敬の念を持って人生を共にしてきました。落語家として高座に上がり、伝統芸能の世界で活躍した燕路と、革新的な絵本作家として子どもたちの心をつかんだせなけいこさん。
異なる分野でありながら、表現者として互いの才能を認め合い、支え合ってきた関係性は、多くの人々の心を打つものでした。
芸術家夫婦としての生活
柳亭燕路は、落語界きっての知識人として知られ、古典落語の継承者としての道を歩む一方で、新作落語の創作にも意欲的に取り組んできました。そんな夫の創造性と、せなけいこさんの独創的な絵本作品との間には、想像力豊かな表現者としての共通点が見られます。
二人の家庭では、それぞれの芸術活動を尊重し合う環境が築かれていました。せなけいこさんが絵本の制作に没頭する時間を大切にしながら、燕路は高座での活動を続け、互いの仕事を理解し合える関係性を保ってきました。
家族構成と芸術の継承
せなけいこさん・柳亭燕路夫妻の家族には、芸術的な才能が脈々と受け継がれています。長女の黒田かおる(本名:薫)さんは母の跡を継いで絵本作家となり、今回の葬儀で喪主を務められました。また、長男の黒田龍之助さんは言語学者として活躍されています。
創作活動を支えた家庭環境
絵本作家のせなけいこさん死去 92歳 「ねないこだれだ」「おばけのてんぷら」 https://t.co/MwuzjQNBu1
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ロングセラー絵本「ねないこ だれだ」などで知られる絵本作家のせなけいこ(本名黒田恵子=くろだ・けいこ)さんが23日午後10時52分、老衰のため神奈川県の自宅で死去した。
せなけいこさんは1969年に『いやだいやだの絵本』でデビューし、翌年には産経児童出版文化賞を受賞しています。この時期、夫である柳亭燕路の支えがあったからこそ、独創的な作品を生み出すことができたと考えられます。特に、貼り絵という独特の技法と、子どもの気持ちを率直にユーモラスに表現する作風は、家庭生活での経験が大きく影響していたことでしょう。
落語家として高座に立つ柳亭燕路と、絵本作家として創作活動に打ち込むせなけいこさん。二人は異なる表現方法で人々の心を豊かにする活動を続けてきました。この相互理解と尊重の精神が、長年の創作活動を支える基盤となっていたと考えられます。
せなけいこの代表作
せなけいこさんの代表作『ねないこだれだ』は、夜更かしする子どもがお化けの世界に連れ去られるというユニークな物語で、累計発行部数300万部を超える大ベストセラーとなりました。また、『おばけのてんぷら』などの「めがねうさぎ」シリーズや、『ルルちゃんのくつした』などの「あーんあんの絵本」シリーズなど、数多くの名作を残されました。
長女の黒田かおるさんとの共作『はやおきおばけ』は、親子での創作という新たな形での表現を実現させました。このような家族での協力関係は、柳亭燕路との深い信頼関係があってこそ可能となったものでしょう。
まとめ
せなけいこさんの訃報に接し、改めて芸術家夫婦としての歩みを振り返ると、互いを理解し、支え合いながら、それぞれの分野で輝かしい功績を残してこられた姿が浮かび上がってきます。近親者のみでの葬儀を終え、後日お別れの会が予定されているとのことですが、せなけいこさんの作品は、これからも多くの子どもたちの心に生き続けることでしょう。
柳亭燕路との深い絆に支えられた創作活動は、日本の児童文学史に大きな足跡を残しました。そして、その精神は長女の黒田かおるさんによって新たな形で受け継がれています。ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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